These were the self-responsibilities of the self-affirmative of the self-denial.
It was an affirmative of the denial though saw from the nation or saw from the people.
They were the kinematic pairs.
In the rising in the world promotion and the success story, I was myself who did not see it.
To indulge to my desire was not to have seen me.
That is, it was a self-affirmative of the self-denial.
*。
The parallel lines that doesn't intersect is an immunity principle, and this is true colors of a national fundamentalism.
That is, correctly even if the nation is wrong
It is a mistake to oppose it even if correct.
This was a national fundamentalism, and the nation was a military regime.
*。
National theorem.
The nation is a homicide.
The happiness of the nation is approved to the homicide.
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This was true colors of the United States and Japan.
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That is, people's denial and people deny the nation the nation.
That is, the affirmative of the self-denial is assumed to be each responsibility.
This is a kinematic pair.
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These are waves in the opposite direction, the overlapping, and it denies of each mutually.
The harmonic vibration is not approved, and it disappears ..it...
*。
That is, the affirmative of the self-denial is each responsibility.
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The massacre of the people the difference constitutional five votes, and massacres of the people the Minamata massacre, that is, government Japanese theorem and nations are people's homicides.
The national well-being is approved to the homicide.
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This was a national fundamentalism.
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The Bush destruction and the Koizumi destruction were affirmatives of the self-denial.
This was a withdrawal of the nation, and the destruction of the nation by the nation.
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The United States and Japan were the family suicides.
Japan might pull the United States and it crowd.
*。
The Bush destruction and the Koizumi destruction were the family suicides of the nation.
However, power survived.
That is, the nation killed the people, and survived.
That is, the nation is a homicide.
これらは、自己否定の自己肯定の自己責任であった。
国家から見ても、国民から見ても、否定の肯定であった。
それらは対偶であった。
立身出世や成功物語は、自分が見えない自分であった。
自分の欲望に耽ることは、自分を見ないことであった。
即ち、自己否定の自己肯定であった。
*。
交わらない平行線が免疫原理であり、
これが国家原理主義の正体だ。
即ち、国家は間違っていても正しく、
それに反対することは、正しくても間違いである。
これが国家原理主義であり、
国家は軍事政権であった。
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国家定理。
国家は殺人である。
国家の幸福は、殺人に成立する。
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これがアメリカと日本の正体であった。
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即ち、国家は国民の否定し、国民は国家を否定する。
即ち、自己否定の肯定をそれぞれの責任とする。
これは対偶である。
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これらは逆方向の波であり、
その重ね合わせであり、
それが互いにそれぞれを否定する。
調和振動は成立せず、それを消滅する。
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即ち、自己否定の肯定はそれぞれの責任である。
*。
五票格差合憲は、国民の大虐殺であり、
水俣大虐殺は国民の大虐殺であり、
即ち、お上日本定理、
国家は国民の殺人である。
国民の幸福は、殺人に成立する。
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これが国家原理主義であった。
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ブッシュ破壊も小泉破壊も、自己否定の肯定であった。
これは国家の引きこもりであり、
国家による国家の破壊であった。
*。
アメリカも日本も、一家心中であった。
日本がアメリカを引っ張り込んだのではないか。
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ブッシュ破壊も、小泉破壊も、国家の一家心中であった。
だが権力は生き延びた。
即ち、国家は国民を殺して、生き延びた。
即ち、国家は殺人である。
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