Doing something
It is a possibility of it not is in what but impossibility.
Do something and what do not exist are it parallel lines?
Is it the same meaning that can do something, and can be sure to buy
cotton?
Does the person exist in the possibility of impossibility?
*。
Small matter
Is it that does something and doesn't exist in what but is fixed
local?
Something is done.
It is not in what.
When both are added, does it become small matter =0?
*。
Doing something
Will anything be done when multiplying in not doing anything?
Then,
Is nothing is done but the small matter the same?
*。
There are 0 origins and unit origins in the act.
Two kinds are in the act.
Canadian Houmure and multiplicative group.
It matches, and the act is a theory of groups.
*。
Which is a kind of do not write writing.
Which is a kind of it is not possible to write writing.
For the case of Canadian Houmure and the multiplicative group writing.
The match and writing are the theory of groups.
*。
When it is enhanced to being to write, existence is a theory of
groups.
Do not do, deny existing or obstruct any trouble.
*。
Therefore,
It doesn't take the place of not becoming of the person's existence
the theory of groups, and no existence then if there is neither
trouble nor a sickness.
*。
Existence non-exists.
Or, it depends on the anti-existence, and it exists.
This was a structure of existence.
*。
Exclusion of non-existence
This was exclusion of existence.
何かをすることは、
何にもしないことの不可能の可能性である。
何かをすることと何にもしないことは平行線か。
何かをすることが出来る、
何にもしないことが出来ない、
同じ意味か。
人は不可能の可能性に存在するのか。
*。
何でもないこと、
それは何かをすることと何にもしないことの定在状態か。
何かすること、
何にもしないこと、
両者を加えると、何でもないこと=0となるか。
*。
何かすることを、
何もしないことで掛けると、
何かすることになるか。
すると、
何もしないことと何でもないことは同じか、
*。
行為にゼロ元と単位元がある。
行為に二種ある。
加法群と乗法群。
合わせて、行為は群論である。
*。
書かないことが、書くことの一種の場合。
書けないことが、書くことの一種の場合。
書くことが加法群の場合と乗法群の場合。
合わせて書くことは群論である。
*。
書くことを在ることに拡張すると、
存在は群論である。
障害は何もしないこと、
或いは存在を打ち消すこと、
または邪魔すること。
*。
従って、
障害や病気がなければ、
人の存在が群論にならず、
すると存在しないことと代わらない。
*。
存在は非存在、
或いは反存在によって、
存在する。
これが存在の構造であった。
*。
非存在の排除、
これは存在の排除であった。
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