2009年12月26日土曜日

does the world consist of good and evil?

There are good and evil in this world.
It cannot be proven.

It is assumed that these sentences are mistakes.
Then, there are neither good nor evil in this world.
It is the world of the life.

It can be proven.

That is, it was proven not to prove.

*。
What.
Incoherent.
It was proven that the brainpan was withering.

It exists because the brainpan is withering in this world.

*。
This is a positive bad man machine theory.

[Oya**] proved the brainpan withering to the apprentice of [oya**].

The apprentice of [oya**] was standing in the Godel's incompleteness theorem.

*。
That is, any sentences cannot prove the no contradiction.

It is sentences.

*。
The reality proves, and contradiction and no contradiction of the reality cannot be proven to sentences.

There are sentences only in a free recording equipment.

*。
When sentences are made an idea device, it becomes a delusion device.

Let's think.
Does an innocent capital punishment arise from a complete decision sentence?
Why does the point of living arise from literature?

Sentences and the realities belong to a different category.

*。
A complete law system was a free delusion.

Literature was a delusion.

The artificial world was a delusion.

*。
Complete is a delusion.
It was a national fundamentalism.

この世には善と悪がある。
それを証明することは出来ない。

この文章が間違いであるとする。
するとこの世には、善と悪はない。
それが命の世界だ。

それを証明することが出来る。

即ち、証明できないことを証明した。

    *。     
どういうことだ。
支離滅裂。
頭がいかれていることを証明した。

現世は頭がいかれているがゆえに、存在する。

   *。
これが悪人正機説だ。

親鸞の弟子は、親鸞が頭がいかれれいることを証明した。

親鸞の弟子は、ゲーデルの不完全性定理に立っていた!

*。
即ち、いかなる文章も、その無矛盾を証明出来ない。

それが文章だ。

*。
現実の矛盾や無矛盾は、現実が証明し、
文章には証明できない。

文章は、ただの記録装置でしかない。

    *。
文章を、思考装置とするとそれは妄想装置となる。

考えてみよう。
どうして完全な判決文から、無実死刑が生まれるか。
どうして文学から、生きる意味が生まれるのか。

文章と現実は次元が違うのだ。

*。
完全な法システムは、ただの妄想であった。

文学は妄想であった。

人造世界は、妄想であった。

*。
完全は妄想であり、
それが国家原理主義であった!

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